中江 藤樹とは
人を愛し敬う心を大切にし、母に孝養をつくして 「近江聖人」 とその徳望が慕われた江戸時代の儒学者・中江藤樹(なかえ とうじゅ)。
当サイトは、そんな藤樹先生の訓えを後世に語り継ぐべく開設したものです。
概要
近江(おうみ)の人。名は原。字(あざな)は惟命。日本陽明学派の祖。初め朱子学を修め、のち、陽明学を首唱して近江聖人とよばれた。熊沢蕃山・淵岡山(ふちこうざん)はその高弟。著「鑑草」「翁問答」など。
経歴
農業中江吉次の長男として誕生。9歳の時に伯耆米子藩主加藤家の150石取りの武士である祖父・徳左衛門の養子となり米子に赴く。1617年(元和2年)米子藩主加藤貞泰が伊予大洲藩(愛媛県)に国替えとなり祖父母とともに移住する。1622年(元和8年)祖父が死去し、家督100石を相続する。
1634年(寛永11年)27歳で母への孝行と健康上の理由により藩に対し辞職願いを提出するが拒絶される。脱藩し京に潜伏の後、近江に戻った。そこで、私塾を開く。1637年(寛永14年)伊勢亀山藩士・高橋小平太の娘・久と結婚する。藤樹の屋敷に藤があったことから、門下生から藤樹と呼ばれるようになる。塾の名は、藤樹書院という。やがて朱子学に傾倒するが次第に陽明学の影響を受け、格物致知論を究明するようになる。
1646年(正保3年)妻・久が死去。翌、1647年(正保4年)近江大溝藩士・別所友武の娘・布里と再婚する。 1648年(慶安元年)藤樹が41歳で亡くなる半年前に郷里である小川村(現在の滋賀県高島市)に「藤樹書院」を開き、門人の教育拠点とした。その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく商工人まで広く浸透し「近江聖人」と呼ばれた。代表的な門人として熊沢蕃山、淵岡山、中川謙叔などがいる。
| 西暦 | 年号 | 年齢 | 事柄 |
|---|---|---|---|
| 1608 | 慶長13年 | 1 | 3月7日、近江国高島郡小川村に生まれる。 |
| 1616 | 元和2年 | 9 | 米子藩主加藤貞泰の家臣であった祖父吉長の養子になり米子に移住。 |
| 1617 | 〃 3年 | 10 | 加藤貞泰の転封により、伊予国大洲へ移住。 |
| 1621 | 〃 7年 | 14 | 曹渓院天梁和尚に書道や漢詩を学ぶ。8月7日祖母卒。 |
| 1622 | 〃 8年 | 15 | 9月22日 祖父吉長卒。 |
| 1624 | 寛永元年 | 17 | 京都から来た禅僧に『論語』を学ぶ。 |
| 1625 | 〃 2年 | 18 | 1月4日 父吉次卒。 |
| 1628 | 〃 5年 | 21 | 『大学啓蒙』を著す。 |
| 1630 | 〃 7年 | 23 | 「安昌、玄同を弑するの論」を書く。 |
| 1631 | 〃 8年 | 24 | 「林氏、髪を剃り位を受くるの弁」を書く。 |
| 1632 | 〃 9年 | 25 | 近江に帰省し、母に伊予での同居を勧めるが拒否される。 |
| 1634 | 〃11年 | 27 | 3月7日 辞職願を提出するが拒否される。 |
| 10月 脱藩し、京都に潜伏後近江に帰郷する。 | |||
| 1637 | 〃14年 | 30 | 伊勢亀山藩士高橋小平太の娘・久と結婚。 |
| この頃より、門人となる者多し。 | |||
| 1638 | 〃15年 | 31 | 『持敬図説』『原人』を著す。 |
| 大野了左入門、後に彼のために『捷径医筌』を著す。 | |||
| 1639 | 〃16年 | 32 | 「藤樹規」「学舎座右戒」を作る。 |
| 1640 | 〃17年 | 33 | 『性理会通』を読み、太乙神を祭る。『翁問答』を著す。 |
| 1641 | 〃18年 | 34 | 『孝経啓蒙』の執筆開始、翌年完成。熊沢蕃山入門。 |
| 1642 | 〃19年 | 35 | 11月 長男宜伯誕生。 |
| 1643 | 寛永20年 | 36 | 『小医南針』を著す。 |
| 1644 | 正保元年 | 37 | 『陽明全集』を初めて入手する。『神方奇術』を著す。 |
| 1646 | 〃 3年 | 39 | 1月25日 次男 仲樹誕生。 4月30日夫人久卒。 |
| 1647 | 〃 4年 | 40 | 9月 大溝藩士別所友武の娘と再婚。 『鏡草』を著す。 |
| 1648 | 慶安元年 | 41 | 7月4日 三男季重(常省)誕生。8月25日中江藤樹没。 |
※年齢は数え年。
著書
- 大学啓蒙(1628年)
- 持敬図説(1638年)
- 原人(1638年)
- 論語郷党啓蒙翼伝(1639年)
- 翁問答(1640年)
- 孝経啓蒙(1642年)
- 小医南針(1643年)
- 神方奇術(1644年)
- 鑑草(1647年)
- 大学考(1647年)
- 大学解(1647年)
- 中庸解(1647年)
- 中庸続解(1647年)
